ピンとくるノート

くるウサの日記です。

遺書

まず、始めに。
この文章は、唐突な思いつきで書いたものではないということをご理解ください。
人生は、生きている限り何度でもチャンスはあるというけれど、
老いは誰にでもやってくるものであって、
チャンスを逃すと二度と得られないものもあるということを、知っておいて下さい。

私は、自分で決めた「ある勝負」に勝つことができませんでした。
それは
「今の職場で、一定の評価を得るまで働き続ける」
というものでした。
しかし、今、その最後と決めた勝負に、敗れてしまいました。
これまでの12回の転職を繰り返し、今度こそはと決めて6ヶ月。
自身のメンタルを保てなかったことによる敗北でした。

もうすぐ20代が終わり、30になりますが、
何一つ「持っていない」私が、今のまま30を迎えることは、
恐怖そのものにほかなりません。
例えば、30歳にもなれば、多くのキャリアを持って、
1つのプロジェクトを任されてもいいような年齢です。
しかし、どんなことも何一つ出来ない私は、
自身の存在が惨めに感じてしまうのです。
私は、この惨めな感情をかかえてこの先いきていくことは、
とても苦痛に感じるのです。
だから、私はこの世を去ることを決めました。

他人の幾千の慈悲を受けようとも、
この私のちっぽけなプライド(笑)を崩すことは出来ないのです。
なぜなら、私は、この先の勝利の先に、
自分の望む自由があると、信じていたからです。
「自立」という自由を・・。

私は、家族が好きです。生きている限り、最大限に大事にしていきたいのです。
けれども。女性に好かれ、女性を大事にすることに飢えているのです。
好きな女性を抱けずに生きて、何が楽しいのだろう、と考えるのです。
だからこそ、私にとっては仕事が大事なのです。
きっちり稼いで、少しでもいい思いをさせたい。
愛してくれる女性にとって、ふさわしい男になりたい、と。
けれども、「いつまで経っても」独り立ちできないジレンマがあります。
どんなに家族の支援があろうとも、男女愛を知らずに生き続けることは、
とても耐えられないのです。
だから、私はこの世を去ることを決めました。
大切な人に逢わないためにも。

もう一つ、話したいことがあります。
私自身に潜む、凶暴性について。
私は不安になると、その不安を拭いたいと、
「突発的な」暴力をふるうことがあります。
もちろん私は、暴力を振るいたくありません。
ですが、理不尽なことがあると、壊すことを自身の正義と信じ、
壊すことはいいことだ、スッキリできてよかったと思い込んでしまうのです。
もしこの暴力で、誰かを傷つけたりしたら、
私の人生にも、その人の人生にも、一生癒えない傷ができてしまうことでしょう。
だから、私はこの世を去ることを決めました。
先の2つの願いが叶えられない以上、
私の情緒は不安定を増して、暴力も増えていくことは、想像に難くありません。
私が自決することで、私を知る人全てに癒えない傷を負ってでも、
私は見知らぬ人を守りたいから。

私は障害が憎い。無念。
2015年2月4日
狂乱くるうさ